発砲酒 2008/5/10 (Sat.) 00:04:57
旅の途中、旅芸一座と出会ったルパン達です。昼飯を白いサルに取られてしまいました。
「ダメだよアメデオ!早くオジサンに返すんだ」って感じです。
子供の頃「母をたずねて三千里」は、お母さんと別れて沈んでいるマルコが嫌で「男のくせにメソメソすんなよ!」とか思っていたのですが、最近見直してお母さんとの別れのシーンで泣きそうになってしまいました。お母さんは二階堂有希子が声をされていたのも最近まで気付きませんでしたし、作品として非常に丁寧に作られたアニメだったんですね。
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Re:赤いキツネと白いサル・・と緑のモンキー
発砲酒 2008/5/10 (Sat.) 00:07:11
呼び捨てになってました(汗)。すみません二階堂有希子さんです。
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平和だねぇ〜…(笑)
石川大介 2008/5/10 (Sat.) 08:08:04
またもや発砲酒さんお得意の?、ルパンと他作品キャラとのコラボ新作絵が拝見できて嬉しいです。本当に毎回楽しいですね!。そして今回は、「世界名作劇場」からチョイスするとは!(笑)。毎度の事ながら発砲酒さんの柔軟な発想には、驚かされ、感心してしまいます。ルパンもマルコも、そしてペッピーノ一座も放浪しているわけですから、こういうシチュエーションも有り得るでしょうし、また、どちらも宮崎さん絡みの作品ですから、しっくりと馴染んで見えますね。、こういうのどかな風景の絵を拝見しますと、1週間程前TV放映された「カリオストロの城」の感動が蘇ってまいりました。やっぱりちょっとでも観ると、最後まで観てしまいますねぇ(笑)。改めて名作だと実感しましたが、冷静に考えると、もう30年近く前になる作品なので、歳月の経過にちょっとゾッとします(苦笑)。「カリ城」で、ルパンが赤いきつねを食べているシーンを観てMP先生は幻滅されたようですが、私自身は自然な感じで観れて、別段違和感も感じませんでしたし、貧乏臭いとも思いませんでした。あの場合、城の様子を野外で見張っているわけですから、おのずと食料は、手軽なインスタント食品や缶詰になるのが、自然な成り行きですからね。あんな場所でステーキなんか食べていると、単なるゴージャスな野外バーベキューパーティーで、銭形や伯爵にすぐに見つかってしまいます(笑)。
さて、「母をたずねて三千里」ですが、歳食ってる分、勿論私はリアルタイムで観ておりました(苦笑)。「フランダースの犬」ほどではないにせよ、内容的には結構暗いお話だったと思うのですが、そういう雰囲気を払拭して場を明るくしてくれるのが、このチョコマカと動き回るポケットモンキー、アメデオでしたね。そのすばしっこさでは、ルパンもそう簡単には捕まえられないでしょう(笑)。「世界名作劇場」は当時、スポンサーがカルピス一本だったので、「カルピス名作劇場」と銘打っていた記憶があります。それで、カルピスの応募券か何かを何枚か集めて送ると、抽選でアメデオのぬいぐるみをプレゼント、というようなCMが流れていました。これは別にアメデオに限ったことではなく、「フランダースの犬」のパトラッシュ、「あらいぐまラスカル」のラスカル、「ペリーヌ物語」のバロンもしかりで、どうやらスポンサー(カルピス)側から、そういった動物のマスコットキャラクターを入れるよう、要請していたみたいですね。
背景奥深く、チョコンと描かれたフィオリーナ…セカンドシリーズ最終回の小山田マキを初めて見た瞬間、頭に思い浮かんだのが、このフィオリーナです。オレンジの髪の色、髪型(フィオリーナは後で束ねていますが)、青い服…「似ているなぁ」と思いました。でも後々考えてみると、「どうぶつ宝島」に出てきた女の子の方がより近い感じもしましたが、あの髪型、服の色は、宮崎さんの女性(女の子?)に対する好み(お気に入り?)のイメージなんでしょうかねぇ(笑)。「〜三千里」の最終回、自分のお母さんに対する想いとだぶらせ、マルコのお母さんの胸で涙するフィオリーナの姿が印象的で、今でも記憶に残っています。
>コルトさん
本当にご無沙汰しています!。日々多忙の中、オフの時にはドバッと更新と、その精力的な活動には感心いたします。また、サイトの方も常々楽しんで拝見させてもらってます。まずは発砲酒さん美術館の例の集合絵、サイズがドーン!と大きくなって、本当に見ごたえがあります。各キャラクターの表情もよりよく見て取れて、実に楽しいです。そしてOVAイベント、オフの模様、感想も楽しく、そして興味深く拝読いたしました。色々なサイトでもこの「G vs R」の感想を目にしますが、私は恥ずかしながら観ておりません。大阪でも上映イベントがありましたが、ゲストも誰も来ませんし、その上映ラインナップも全く惹きつけられるものがありませんでした。それで、「OVA一本観るために深夜に出向いて3000円は、ちょっと高いな…」と…(苦笑)。ちなみに、チケット情報を調べてみますと、イベント前日でも「余裕あり」でしたよ(苦笑)。東京は30分で完売みたいでしたが、やはりMP先生来場効果なんでしょうね。
更に私の恥部を暴露しますと、私は未だにDVDレコーダを所有しておりません。ですから買うことはおろか、この先レンタルに出回っても、私がこの作品を観るのがいつの事になるやら、全く予測不可能です(苦笑)。でも強がりや負け惜しみみたいに聞こえるかもしれませんが、この作品を観ていないことが、「すごく残念だ、損している」とか、「引け目を感じる」というのは、あまりないです。やはり作品のテーマ、内容自体が、私は好きではありませんから。しかしムック本は買いました。驚いたのは、アニメはもう、全くMPタッチを無視しているもんだと思い込んでいたのですが、この作品では唐突に原作を彷彿させるMPタッチの線画が使われているんですね(包帯ルパン)。後、設定資料を見る限りでは、警視総監が永田重工のオッサンと全く同じなんですが…(苦笑)。
内容に関しては私は観ていませんので何とも言えませんが、ただ有希子の役柄がリポーターだと知った時から何となくきな臭い予感はしていたのですが…押井監督のルパン構想では、不二子はリポーターでしたからね。キネマ旬報増刊で、押井監督が構想していた劇場用ルパンの構想が結構具体的に明らかになり、ファンからも、「やはり押井ルパンを観てみたかった」とあちこちで囁かれていたので、今回のOVAは、「ならば、それと似たようなものを作ってあげましょう」といった感じで制作されたような印象を受けます。そして、後は過去の作品のパロディ(コルトさん言うところの盗用、流用)、そしてあのテーマソング…(苦笑)。プロデューサー、監督の鼻息荒い意気込みとは裏腹に、どこに新しいものがあるのでしょう(苦笑)。まぁ、制作側からすれば、それら全てが「ファンサービス」という認識でやっている事かもしれませんね。因みにムック本インタビューでクリカンさんは、「究極の『ものまね』を目指す」そうです(苦笑)。「リニューアル」というよりは、広告が付かなくなって規模縮小を余儀なくされた!?ルパンマガジンの感想も、また時間が出来ましたら書いてくださいね。あんな作品の掲載の仕方じゃ、アマチュア投稿者の方々も、もう投稿する気が失せるんじゃないかと心配ですが…。
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Re:赤いキツネと白いサル・・と緑のモンキー
池本 剛 2008/5/10 (Sat.) 13:37:20
柔らかな色調によって「カリ城」と「三千里」とが実に上手く調和させてありますね。僕はどうもアメデオを可愛く描けないんですが、発泡酒さんは上手いこと再現してますねェ。凄いなぁ。
ところで「三千里」第1話…発泡酒さんは再見してみて「泣きそうになった」との事ですが、僕なんかはそれどころか声を出して泣いちゃいます(何度も何度も見返した作品なので流石に今では大丈夫ですけど)。僕にとって「三千里」と「未来少年コナン」の二つは、日本のテレビアニメ史上空前絶後の二大弩傑作であって、この二つを凌ぐ作品は先にも後にも無かったりします。旧ルはシリーズトータル(23話)で考えるとやはり一段落ちちゃうんですよねェ。
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Re:赤いキツネと白いサル・・と緑のモンキー
MIYAGI 2008/5/10 (Sat.) 23:10:45
発砲酒さんこんばんは。いつもながら発砲酒さんの絵は目に優しくて綺麗ですね。憧れます。
なんとものどかで、画面上部から「アルプスの少女ハイジ」の小鳥のピッチィがアメデオの頭の上に舞い降りてきそうなカンジさえします。
ところでペッピーノ一座の皆さんが注目してるのはアメデオよりむしろ次元さんのように見えるのですが、気のせいでしょうか(笑)
「母をたずねて三千里」って大筋は「行けども行けどもかあさんに会えない」マルコの悪夢の連続のようなお話という印象が強いです。何話目かは忘れてしまいましたが
「おまえのかあさんは死んだんだよ」
と、マルコの夢の中にひまわりの顔をした男が出てきたシーンはえらく怖くて今思い出しても背筋が寒くなります。
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Re:赤いキツネと白いサル・・と緑のモンキー
発砲酒 2008/5/11 (Sun.) 00:24:04
石川さん、池本さんコメントありがとうございます。
>石川さん
いや〜得意って事ではないのですが、こういうコラボは想像してるだけでもなんか楽しくなってきます。特に「カリ城」と「母をたずねて三千里」は宮崎さん絡みというのもあるのですが、時代設定は違えど、なんか世界観が近いように思いまして。またカリオストロ公国からちょっと足を伸ばせばハイジの住むアルムの山郷がありそうに思ったりします。五右衛門が公国入りするためにペーターに道を尋ねていた。とか想像してしまいますね。
ルパンの食べてた赤いきつね、とても美味しそうでした。特に熱そうなお揚げさんをハフハフ食べてるシーンを観ているとヨダレがでそうになってました。石川さんの仰る野外バーベキュー、観てみたいです(笑)。グスタフや銭形が「なんだあれは?」と双眼鏡で見てみると、煙をたてながらワイワイやってたりして(笑)。肉やトウモロコシなんかを頬張りながら逃げてそうですね。
僕も「母をたずねて三千里」はリアルタイムで観ていました。あのカルピス名作劇場は長年の定番チャンネルでしたね。アメデオを初めてみた時はとても違和感があったのを覚えています。僕の場合はサルというと日本猿ってイメージしかなかったので、あの白い生き物を猿と認識するには多少時間がかかったように思いますが、慣れればとても可愛らしかったですね。CMでのアメデオぬいぐるみも欲しかったなぁ。応募はしませんでしたが。
実は僕はフィオリーナ好きだったんですよ。あの感情を内に秘めたような表情はちょっと近寄りがたい雰囲気があったのですが、とても可愛くて好きでしたねぇ〜。石川さんに言われて気が付きましたが僕がルパンゲストキャラの中でも小山田マキが好きな理由ってフィオリーナに似てるからなのかな?
>池本さん
アメデオ難しいですよね。僕も梃子摺りました。この絵は世界名作劇場のオフィシャルサイトの絵を参考に描いたのですが、参考にしたアメデオが動画でピョンピョン動くので、唯でさえ描きにくいのに!とか思ってました。アメデオも難しいですが僕にはマルコが更に難しい。なんでなんだろう・・比較的単純、というかシンプルなキャラデザインに思うのですが、シンプルであるだけ誤魔化しが効かずバランスやパーツの大きさが違うと全然似なくなってしまう。結局投稿絵のマルコもなんか違う感じになってしまいました。
幼少の頃の僕は、単純な性格というか(今でもですが)やっぱりカッコ良くて強いヒーローものに惹かれていましたので(そういう意味では後の「トム・ソーヤの冒険」の方が好みになるのですが僕にはちょっと遅すぎました)、先のコメントのとうりお母さんとの別れで悲しんでいるマルコがどうにも嫌だったのですが、それは同年代のマルコに対しての母親に甘え、すがる事への照れや恥かしさからくる嫌悪感だったよで、この歳で見直すとマルコの甘えたい気持ちや両親の思いなんかも理解できて、船で遠ざかっていくお母さんを追いかけるマルコを観ていると・・泣いてしまいますね。あれは!
再見ではまだ観ていないのですが、今でもはっきり覚えているシーンとして最終回、ようやくお母さんと再会し故郷へ帰る列車の中から窓の外を見ると、旅の途中、友達になった兄妹(貧しい家庭で病気になった妹を医者に診せる費用もない)が見送っているシーンが
ありまして、マルコを見送る二人を観た時はボロボロ泣いてしまいましたね。ああ、マルコは苦労して異国を旅をしてきたけど、こうして見送る仲間が出来たんだなぁと、あの兄妹も貧しくても本当にいい人たちだったんだなぁとか・・・なんか思い出すだけで鳥肌が立ってきました。
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Re:赤いキツネと白いサル・・と緑のモンキー
発砲酒 2008/5/11 (Sun.) 01:40:52
MIYAGIさんコメントありがとうございます。ピッチィ!いましたね。たしかヨーゼフがパクッと食べてたような気がします。(勿論口の中に入れただけで味わってはいませんが)ピッチィが飛んできても何の違和感もありませんね。それを追いかけてハイジやペーターにも来てもらいたいです。
ペッピーノ一座の皆さんが注目してるのは>
多分そうでしょう。次元は見られている事も気付かず後でちょっと恥ずかしい思いをすると思いますね。あわてて「ルパンよぉ、さっさと出発しようぜっ」とか言ってそう。
やっとお母さんに会えるってとこで、「何日か前までいたんだけどねぇ」っていうのがありましたね。観てる僕も「そんなぁ〜(泣)」って感じでした。MIYAGIさんの仰るひまわりの顔をした男の夢は記憶にありませんが、それは相当怖いですね。そんなこと言われたらマルコも先行き不安でしょうがないですよね。
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Re:赤いキツネと白いサル・・と緑のモンキー
池本 剛 2008/5/11 (Sun.) 11:16:55
「再見では『まだ』観ていない」って事は、再放送なりDVDなりで今丁度見返していってるって事でしょうか。発泡酒さんの記憶に残ってる『兄弟』はパブロとフアナですね。終盤では特に印象的なエピソードとキャラクターだったので、あの一瞬の再会は物凄く心に沁みますよね。
幼少時にリアルタイムで見てた時には判ってなかった部分、見返して理解が深まってグッと来た部分と言うと、僕の場合は…マルコの父親ピエトロ・ロッシ絡みだとか、瓶洗いのジロッティさん絡みだとか、メレッリ伯父さん絡みだとかだったりします。
僕はまぁホント「三千里」にはとにかく思い入れが深くて、何しろ高校時分から飼い始めた愛犬にフィオリーナと名付けてた(数年前に死にました)くらいのもんですから(笑)「三千里」についてであれば、いくらでも語れる気がします。わはははは。もうとにかく壮絶に好きです。
MIYAGIさんが挙げた悪夢の場面(瑣末な事ですが、花はひまわりじゃあないです)は第21話「ラプラタ川は銀の川」の冒頭ですね。これは相当にショッキングだったので僕も強烈に覚えてました。悪夢の描写は「三千里」で何度も試みられていて、そのどれもが秀逸なんですが、高畑監督はその後も悪夢描写に傾倒していたようで、「じゃりン子チエ」などでも得意の悪夢描写を炸裂させてたりも。
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長いこと勘違いしてました
MIYAGI 2008/5/11 (Sun.) 15:49:48
池本さん、マルコの悪夢に出てきた男の顔はひまわりではなかったんですね。失礼いたしました。
長いことすっかり勘違いしてました。それにしても子供向けにしてはシュールですよね。
なんだか激しくこの第21話だけでも観たくなってきました。観たら確実にマルコと同じように悪夢にうなされそうな気がしますが。
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Re:赤いキツネと白いサル・・と緑のモンキー
発砲酒 2008/5/12 (Mon.) 00:49:58
数ヶ月前にネットで第一話を見た後、ずっと気になってましてレンタルで観だしてるところなのです。まだまだ最初の方ですが。パブロとフアナですか。あの二人はずっと僕の心に残ってますね。
僕は瓶荒いのジロッティさんて、もっと嫌な人物かと勝手に思っていたのですが再見してみて全然違ってました。マルコも張り切って働いているし。またお母さんが出稼ぎに行く事になった経緯やお父さんの苦しみなんかも幼少の頃は理解できなかった事情が今更ですがわかりましたね。それにジェノバの町並みや、そこに暮らす人々が観ていて心地いいですね。
池本さんが「三千里」へ思い入れるお気持ち、僕なんかにはとても及びませんが再見してみて、百凡のアニメ作品とは明らかに違うという事はわずか数話観ただけでもビシバシ感じますね。頭では「ハイジ」にしても「三千里」にしても高畑さんや宮崎さんが関わってるんだから名作だったんだってイメージは持ち続けていたのですが、再見して改めて実感しますね。これを子供の頃観ていたんだなぁ〜。いい時代だったって事なのかな。引き続き観ていこうと思います。それに僕も21話を観るのが楽しみになってきました。
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Re:赤いキツネと白いサル・・と緑のモンキー
池本 剛 2008/5/12 (Mon.) 04:58:24
そうなんですよね。出稼ぎの理由だとかピエトロの苦悩だとか、その辺は子供の頃には全然判ってなかった部分で、再見してみてようやく感情移入出来る感じで。やっぱり子供の頃はマルコ目線でしか見れなかったですね。
何しろジェノバを離れる間際には夜の盛り場が舞台となって、その背景描写として街娼(らしき女性)までが描かれてたりして「こらぁ子供には判らんわ(苦笑)」って感じで、その容赦の無さと言うか手を抜いてない感じが凄いなぁと思います。売春婦や失業者がゴロゴロ登場する子供アニメって何なんだ(褒めてます)。わははは。
ジェノバ編(勝手に命名)の充実度はホント異常な程で、およそストーリーらしいストーリーが無い回であっても物凄く面白いのはやっぱり「リッチに作ってあるから」って事になるんでしょうが、ホント発泡酒さんの言うように、これだけの作品が平気でテレビにかかってたんだから「幸福な時代だったなぁ」と思います。
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緑のたぬきVS赤いキツネ
コルト 2008/5/13 (Tue.) 00:38:55
こんにちは〜!コメント前からこういうのも変ですが(笑)久々に一同集まってワイワイお話出来て楽しいです(^^)「ルパン」の枠も超えて、他の話題でも一緒にお話出来るのは嬉しいですね。世代が近いからかもしれませんが。発砲酒さんのこの絵のタイトル、もしかしてカップ麺の名前のパロも入ってるんじゃないかなーーと(上記タイトル参照)思いました(笑)カップ麺ネタはアニメ新ルパンでもありましたよね。「戦車が怖くて、赤い背広が着れるか!」(by山田ルパン)だったかな?私も石川さんと同じで、カリ城でルパン達がカップ麺を食べたからといって、ルパンが貧乏人に見えたという事はなかったです。100円ライターでもフィアットでもそうですが、彼らは実戦の場に一番実用的な物を、たまたま小道具としてチョイスしてるように感じられたので。例えば実際にあった「あさま山荘事件」でも、カップヌードルが実戦用非常食に非常に役に立ったという話は有名ですしね。100円ライターも登場した当時は安っぽいというよりも「オイル残量が見える」「軽くて持ち運びに便利」といった点で評価されて、現実でも高級ライターとは別の目的で皆に使い分けられてた気がします。いわばお洒落着と運動着みたいな物で。ああいうロッククライミングしてるような演出された場合、出来るだけ身軽であるような持ち物を選ぶのは、私には当然のように感じられました。宮崎さんの意図した演出とはちょっと違った風に絵から感じ取れたのは、私が宮崎さんより豊かな時代に生まれた世代のせいかもしれないですけど。
発砲酒さんの絵は、原作初期のハードな雰囲気にも合いますが、世界名作劇場風にもほんわかと合いますねぇ。このルパンのキャラデザは、大塚さんデザインを下地にはされてますが、旧ルパンでもなく名作劇場風でもなく、発砲酒さん独自の線描が活かされてる感じで、尚もマルコの世界に自然と馴染んでて興味深いです。
>母をたずねて三千里
皆さんの話を聞いてると、リアルタイムで楽しまれてたんですね。年齢の事を考えると「凄いなあ」と思いました。私の場合「〜劇場」枠でリアルで観てたのは「ムーミン」から「フランダースの犬」までで、マルコの第一話は、当時の子供の私には難しすぎてついていけなかったのです。さりげない会話で状況が進んでいくので、当時子供だった当時の私には話全体の状況をよく飲み込めなくて。又小さい頃から私は「お母さんいかないで」とは真逆の性格で「親の干渉から離れて、一人で世界冒険の旅に出たい」と常日頃から思ってるような子だったので、マルコの気持ちに共感出来ずピンとこなかったというのもあります。しかしマルコがお母さんと離れ離れになるシーンだけは強烈に覚えてて、ガタガタの道を転びながらがむしゃらに追いかけていく姿は「真っ直ぐな道を走ってる訳じゃない」という現実味がリアルで鳥肌立ちましたね。皆さんのお話を聞いて改めて作品に関心を示し、ヤフー動画で1話を観たのですが、やっと全体の話が呑み込めて(遅すぎ;)シリーズ通して観たくなりました。冒頭からマルコが実にリアルな幼い子供として演技されてるから、それが後の展開に強く響いてますね。こういうリアルな演技を丁寧に描いてる高畑さんはやはりいい作家さんだと思いました。「子供はどうせ頭悪いんだろうし、この程度でいい」「いかにも子供に受けそうな物で商売しよう」と、子供の感性の鋭さを見くびったり、金や数字目当てに媚びたりせず、大人が子供に人として対等につき合ってくれて、良心的に子供の心の成長を願って作品を作られてるのがよく判ります(今は判らなくても、大人になって気づいてくれればいいよと優しく見守ってくれてる)。そういう風にアニメが作られてた時代に子供でいられた幸せを感じますね。
ヤフーで作品第1話を観た時、マルコより私は母親に感情移入してしまい「こんなに幼い子供が、母親の為に後にあんなに酷な旅をするなんて、なんて健気なんだろう」と胸が痛くなりました。子どもと大人と、両方の立場から世界が見られる分、大人になった時の方が、この話はより一層楽しめる気がします。あと「ひまわりの顔の悪夢」(ひまわりの花じゃなく、似た別の花という意味でしょうか?)というのは聞いただけでゾッとしました。本当にトラウマになりそうですね。
>石川さん
サイトの感想ありがとうございます。更新は、チョコチョコ時間のある時に少しずつ書きためておいて、纏まったら一度にやる形を今のとことってるんですよ♪私もOVA上映は、モンキーさんトークと「アルバトロス」上映がなかったら、行かなかったかもしれません。
ルパマガ感想は、最近書くことがいつも同じになるので時間の無駄に思えて(苦笑)書かなくなってますが、ちらっとで良ければメモ代わりに記しておこうかと思います。新作OVA感想と違って本当に短いので期待しないで下さい(^^;
ところで、私はパソ音痴のメカ音痴なのでよく判らないのですが、新作OVAはパソコンでは再生出来ないのでしょうか?私のテレビはステレオ対応じゃなく音声がよく消えるので、DVDは全部PCで観てるんです。
あ、そうそう。「どうぶつ宝島」の女の子は私も好きです。一番好きなのは「ホルス」に出てきたヒルダですが、どうも私はツンデレ系の気の強い、クールで芯のある女の子が好きみたいで(笑)「あしたのジョー」で白木葉子が好きなのも、彼女が同じタイプだからだと思えます(ツンデレの言葉で括るには、あまりに深いキャラばかりなので、この場合そう例えるのは抵抗もなくはないですが)
追伸:石川さんのルパコレさん投稿絵も美術館に展示ご希望でしょうか?その場合、どういう風に展示されたいか、ご連絡下さいね。
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Re:赤いキツネと白いサル・・と緑のモンキー
池本 剛 2008/5/13 (Tue.) 10:17:21
マルコのキャラ造型は等身大でリアルで生っぽいですよね。甘えや弱さ、頑固さといったような『可愛げの無さ』もきちんと描かれていて、主人公然とした主人公ではない感じ(そこが素晴らしい!)。マルコに限らず、出て来る人出て来る人、ちょっとした端役に至るまで全てに嘘が無く、絵に描いたような善人や絵に描いたような悪人てのは出て来ないんですよね。皆それぞれにドラマがあって、キャラクターの説得力があって。
年齢を重ねて再見してみると大人キャラクターの側に感情移入するようになるというのは「赤毛のアン」なんかもやっぱりそうで、子供の頃はどうしたってアンの目線で無邪気に鑑賞してた訳ですけど、後になって見返してみるとマリラやマシュウの目線から作品を見つめる事になったりするんですが、そういった事が可能になるだけの作品の力と言うか、奥の深さと言うか、そういった面で高畑監督の作品群に圧倒される事は多いです。
悪夢で描かれた花については…品種がはっきりと判る訳じゃあないんですが、マーガレットだとかああいった類いの花でした。この悪夢描写は件の花顔男の他にも秀逸な描写が溢れているので、再見を勧めておきます。21話だけを単体で抜き出して見てしまうのは避けるべきだろうと思うのでホイホイとは勧められませんけども。
悪夢ではないけれど、それに似た描写で壮絶だったのはーーとある街でマルコが乞食呼ばわりされ、その事にショックを受けたために、街並や人々の姿が歪んで見え、周り全員が自分を軽蔑してるかのような錯覚に囚われてしまうといった回がある(話数は敢えて伏せておきます)んですが、これなんかも必見。
ここでもまた『乞食呼ばわりした男』が特別に厭な奴、ステロタイプな悪役というのではなくて、「こういった状況だったら、こういった人もいるだろう」といったような感じで、つまり誰しもにあり得る無自覚な悪意をこそ描いてる点が高畑監督ならではな気がします。とにかく身につまされるんですよね「三千里」は。
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Re:赤いキツネと白いサル・・と緑のモンキー
発砲酒 2008/5/14 (Wed.) 00:59:36
今回の絵のタイトルは、コルトさんの仰るとりカップ麺から頂いたのですが、あまり綺麗には決まりませんでしたね。「赤い〜」とくれば次は「緑の〜」って繋がれば良かったのですが、なんとなく絵の上から順番に並べてしまいました。そういえば仰るとり新ルパンでも言ってましたね。あれは山田さんのアドリブなのかな?
塔のてっぺんで100円ライターのオイルが切れてポケットを探ってましたが、小型ロケットが倒れなかったら何が出てきたんでしょう。高級ライターとかなのかな?僕はマッチのような気がしていたのですが。それも箱に1,2本しか入ってないような。
僕独自の線画でてますか?それが僕にはわからないんですよね(苦笑)。まぁ今回のルパンはあまりキツイ表情にはならないように、とは思っていました。
僕の場合「母をたずねて三千里」をリアルタイムで観ていた頃は、毎週の習慣のように観ていましたので話の難しい部分だとかは理解できなくても、マルコの行動や言動とかで、自分が解る範囲で観てたように思いますね。ですので再見してみて些細な事で勘違いしていたこととかもありました。ですので、今は池本さんも仰ってますがお父さんやお母さんに感情移入してしまいます。マルコも幼い年頃で可愛そうだけど、お母さんも辛いなぁ。行きたくはないわなぁ〜。
まだ最初しか再見していませんが、池本さんの仰るよに登場人物たちが自然、というか行動や与えられた性格に無理がないんですよね。そういった納得できる人物達が関わりあって物語が進む作品って結構貴重なのかも。挙動不審で性格(キャラ設定)の?めない人物がいないのでストレスなく観られます。
「赤毛のアン」は第一話は確かに観たのですが、その後の記憶がないんですよね(苦笑)。マシュウは好きだったのですが、当時の僕は「チェッ、また女の子が主役か」って感じで、気が付いたらアンは大人になっていました(苦笑)。
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Re:赤いキツネと白いサル・・と緑のモンキー
コルト 2008/5/16 (Fri.) 20:09:36
>池本さん
花の品種を教えて下さってありがとうございます。マーガレットという花に何かキーワードがあるのかと思って、花占いのサイトも回ってみましたが、占いは特に関係はないみたいですね。ただマーガレット・ヒナギク・デイジー等と呼ばれる類の花(正式名は判らないけれど)は、イタリアでは大変メジャーな花みたいで(一部「国花」と紹介されてたWebページもあったけど、今は違うといった紹介ページもあり…これもどうなのかは私には判らないですが)しかし、旅の途中でイタリアを象徴するような花を夢に見る、というのはマルコの故郷を恋しく思う気持ちの演出なのかなあ、と深く勘ぐってしまいました^^;
>奥の深さと言うか、そういった面で高畑監督の作品群に圧倒される事は多いです。
マルコの第1話冒頭の演出手腕も、一度見ただけですぐ思いましたが、ほんと見事ですね。「子供の寝ぞうの悪さ、子供らしい無邪気なはしゃぎっぷり」で、マルコをリアルな子供として描ききることで、それが後のリアルな大人社会も変に悪役然とならず、リアルに対等に見えるようにしてあるし、「母親に起こしてもらわないと起きられない」彼の自立心、生活力のなさが、後のマルコの自立・一人の生活と成長を引き立ててる。ほんの数分にも満たない冒頭でこれからの展開に必要な下地を一気に作りあげてるのは流石です。母親が辛い時、首だけそっと後ろに回して表情を見せないのも、最初から「辛さ」が説明過多にならず、徐々に切なさが強くなっていく演出として控え目で好感大^^
>甘えや弱さ、頑固さといったような『可愛げの無さ』もきちんと描かれていて
>端役に至るまで全てに嘘が無く
>こういった状況だったら、こういった人もいるだろう
そう!私もそういう作品に惹かれるんですよ。「あしたのジョー」で白木葉子が好きなのも(しつこい;)彼女が絵に描いたような良い子でもなく、かといってステレオタイプの意地悪役でもなく、すっごく「人間の善悪両面の生っぽさ」を感じるからなんです。
それでいえば「小公女セーラ」は、原作は大好きなのだけど、アニメでは「何か違うな」と感じて、何回かで観るのをやめてしまいました。小説では落ちぶれたセーラが次第に精神的に屈辱に耐えきれなくなって「あのう…あなたは今、幸せ?」と心配して聞くクラスメイトに「今の私を見て、あなたにはそう見えるの?!」って逆切れしてしまうんですよね。友達代わりに大事にしていた人形を、孤独に耐えかねて「あんたなんか、ただの人形じゃない!」と壁にぶつけて大泣きしたり。そういう人間の弱さの露呈のシーンがとても好きだったので「何かセーラが主人公然としてて、綺麗すぎるなあ」と。最初しか観てないのでアニメを観たら、本当は後にそういういやらしい一面も描かれてたのかもしれませんが(もしそうならゴメンナサイ。そういう汚いセーラなら是非観たいです)
>赤毛のアン
私もこれは小説もアニメも、子供のころは「これのどこが面白いんだろう?」と不思議でした。アニメのOPは素晴らしく美しくて好きでしたが。ところが大人になると彼らの気持ちが客観的に見えてきて共感出来るようになったんですね。コンプレックス解消につられて変な商品に手を出したり^^;一度軽い気持ちでからかった相手を本気で怒らせて長期間許して貰えなかったり、進学と実家の事情の狭間で悩んだり。大人目で見た方が実生活に被って身につまされます。
発砲酒さん
>「チェッ、また女の子が主役か」って感じで
笑いました。なるほど、男の子からすると、女の子の気持ちや生活など判らなくてつまんないでしょうね。私は主人公は男女どちらでもいいけど、明るい冒険活劇が好きだったので、当時は地味でリアルな生活を描いた物や、ジメジメした暗い話は苦手でした。そういう地味で暗めの話でも最後まで観られたのは、旧ルパン「脱獄のチャンスは一度」が初めての経験だった気がします。
「赤毛のアン」は、ご覧になった事あるかもしれないですが、実写洋画でも制作されてます。こちらはギュッと密度を濃くして短く制作されてるので飽きずに観られて面白いです。マシュウの死のシーンでは、思わず泣いてしまいます。
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修正
コルト 2008/5/16 (Fri.) 20:41:47
「明るい」というと語弊があるな。「タイガーマスク」や「どろろ」「妖怪人間べム」など設定は暗くても好きな作品は沢山ありました。これは「登場人物が困難にもジメジメしておらず、気丈」という「気持の明るさ」が好きだった、という意味でして。今は気弱な心の人物にも感情移入出来るようになったので、必ずしもそうでないと観れないというのもないですが。
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Re:赤いキツネと白いサル・・と緑のモンキー
池本 剛 2008/5/17 (Sat.) 00:32:08
大人になって「赤毛のアン」を見返すと、ホントかなり見方が変わりますよね。高畑監督自身は「アン」の原作を読んで「これはユーモア小説だ」と解釈した上でアニメを作ったんだそうですが、その気分ってのは物凄くよく判りますね。大人視線でアン独特の言動を眺めた時に「この子は何て面白いんだろう」とニコニコしてしまう…それは別に馬鹿にしたり軽蔑したりして笑うんでなくて、微笑ましく見守る視線ですよね。マリラやマシュウの視線と同化しちゃうような感じ。「この子は突拍子もない事を思い付くなぁ」とハッとしたり「そう言えば子供の頃ってこんなだったっけなぁ」とか。そういった視線を意識的に盛り込んであるところがアニメ「赤毛のアン」の巧みさだったんだと思います。
加えて言えば、ナレーションが『落ち着いた大人の男』だってのもミソで、アンが自我の世界にうっとりと没入してる分、ナレーションは極めて客観的に道案内をしているという。ナレーションと言えば「母をたずねて三千里」の場合、『ナレーションが無い』ってのが肝腎な点で、多分これ「名作劇場」でナレーション無しってのはこの作品だけなんじゃないかと思うんですが、その徹底した客観性が高畑監督の魅力であり、「三千里」の魅力なんだろうと思うところです。
花顔男の花がマーガレットというチョイスになってるのは、僕個人としては「多分、絵的な判断の問題だろう」と思っているんですが、「イタリアを象徴しているんじゃないか?」という捉え方もそれはそれで面白いと言うか、確かにその可能性もあるのかも知れないと思います。以下は花顔男に関するネタバレになってしまうんですが…
ネタバレ注意
花顔男は『PIETORO』なんですよ(『PIETORO』って誰?って場合には、これをカタカナに直して、この頁内を検索してみれば判るだろうと思います)。とすれば、『彼』の悪夢顔として『イタリアの代表的な花』を持って来たんだ、ってのは筋が通っているので、実際そうだったのかも知れないですね。
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Re:赤いキツネと白いサル・・と緑のモンキー
コルト 2008/5/18 (Sun.) 13:37:35
>PIETORO
検索してみて(これが池本さんの言われてる「PIETORO」を指すのかは不明だったんですが)もしここまで考えてイタリアを代表する花と「変貌」を持ってきたとするなら、本当にこの作品は「お子様向け」の意識で作ってたんじゃないんだな、というのが伝わってきました。もしかするとこれは「マルコが故郷を恋しく思う」というのではなく【故郷=自分が安らぎの地と思っていた場所=幼い自分を優しく包み込んでくれてると思っていた世間】が、実は厳しい物だったという「裏の正体を観る」という演出なのかな、という印象も持ったり。これはもう推測だけじゃなく、実際に作品観て自分で感じ取るしかないかな(笑)「歪んで見える町の人」の話もそうですが、私自身ヘタってる時「悪夢」は結構見るので、高畑演出に親近感抱きました^^;(雑談:若いころ職場のセクハラで鬱状態だったとき。壁がドーーンドーーンと「いるんだろ、出てこい!」と叩かれて、バキッと割れたかと思うと、にゅ〜っと巨大な裸足の男の足が出てきて、足の裏で頭を踏まれ反対側の壁にギュウと押し付けられ身動きとれず、恐怖と屈辱を感じたという夢を観ました。今ならセクハラごときじゃビクともしないんですが・苦笑)
>ナレーションが『落ち着いた大人の男』
>「名作劇場」でナレーション無しってのはこの作品だけ
私は両作品を殆ど観てないので知らなかったんですが、そこまで緻密に慎重に計算されていたなんて凄いですね。
こういう「ストレートすぎない・過剰説明しない表現」というのでふと思い出したんですけど、某中堅(もうベテランかな)の声優さんが「今のアニメやる連中(若い声優)は、すぐ画面に『アッ?;』とか『ウッ!;』とか変な息入れやがって、オレはそれが大嫌いだ」とオフレコで言われたことがあるんです。特に、萌えアニメやロボットアニメなどが顕著ですが、登場人物が何か相手に言われてたじろいだり、ちょっとでも衝撃(てほど大げさでもないシーンなんですが)受けたりすると、いちいちそこで感情が今どう変わったか「声と顔のアップで説明」させるのがパターンになっちゃってるんですよね。その方がキャラの心の演出を考える事もなく、パッパッと脚本を作れて制作は簡単にはなるんでしょうけれど、高畑さんのような手堅い深みのある脚本演出にお目に掛かれる機会が少なくなってるのは残念です。
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Re:赤いキツネと白いサル・・と緑のモンキー
池本 剛 2008/5/19 (Mon.) 10:45:40
ネタバレ注意と断ってはいても何せ掲示板なので、それでも更に注意を払う必要があるだろうと思うので、ある程度どうしてもボカしながら喋らなきゃ駄目だろうって事で回りくどい説明になっちゃったのでアレなんですが、コルトさんの解釈を読んだ感じでは多分伝わってるんだろうと思います。花顔男の正体を念のために駄目押ししておくなら…イタリア語の『Padre』です。
日伊翻訳 http://translate.google.co.jp/translate_t
演出意図については…マーガレットというチョイスが本当に『故郷イタリアの象徴』なんだとすれば…悪夢の内容が『信じられないような悪夢』『最悪の展開』なので、「裏の正体、別の顔を見る」というよりは、「自分にとって安心出来る筈の存在すらが別のものに変わってしまっている恐怖」といった感じなんじゃないか?という気がします。これはまぁ実際に件の悪夢シーンを観れば、基本になっているのは『異化』と『恐怖』なんだという感じで了解出来るんだろうと思います。何にしろこの悪夢場面は実に巧みな演出が冴えた必見場面。
いちいち説明過剰な演技は大嫌いだという某中堅声優氏の苦言には大いに同意します。画面も含めて類型つーか記号のオンパレードなので真面目に鑑賞する気には到底ならないという(苦笑)
Re:赤いキツネと白いサル・・と緑のモンキー
コルト 2008/5/21 (Wed.) 08:29:21
>「自分にとって安心出来る筈の存在すらが別のものに変わってしまっている恐怖」
私の解釈も、マルコの心情としては大体池本さんと同じニュアンスです。「嘘…自分を包み込んでた、安心できると思ってた世間って、本当はこんなだったの?!…ショックだ」という。でも「世間というより安心できる存在そのもの」「恐怖」までは思い到りませんでした。これも本編を見れば伝わるのかもしれませんね。日伊翻訳もありがとうございます。これは判りやすいですね。目から鱗です。ネタばれといいますが、この場合は「だから、それをどういう風に解釈するか」という考察を更に要するので、個人的には全く大丈夫だと思いますです(^^)他の観てる方の為に、気を配って頂いてありがとうございます。
>類型つーか記号のオンパレード
キャラクターもそんな感じですよね。女の子が一杯出てきたら「ツンデレ」「天然ボケ」「母性的」「妹的」「ボーイッシュ」「知的」「大人しい」「ドジっこ」と、類型で分類出来ますし。ビジュアルは「眼鏡」「メイド服」「制服」「巨乳」。確かにパッと見は可愛い(私の好みの絵ではありませんが)けど、そんなに似たような物ばかり幾つも作ってどうするの?と(^_^;
昔から女性キャラは似た感じの類型ではあったけれど、見た目の個性と共に、もうちょっと内面の泥くさい部分も描かれてたので結構子供心にも「人間」として心に残ったんです。
今は人間というより、愛玩的(例えればヌイグルミ)な居心地の良さのみ求められてる気がするんです。(「眼鏡」「メイド服」というのも着せ替えごっこのお人形さん遊びのアイテムのような。同人なら個人の趣味だから勿論それでいいんだけど)演じる側としてもキャラを深められないから面白くなくて;それにしても、ブームと呼ぶにはちょっとこの状態長すぎますね。
>説明過剰な演技
これは声優養成所の演技指導にも問題があるんですよ。今で言うなら、入れる必要がないとこまで「アッ」「ウッ」とお約束のように機械的に音を入れたりもしますが、それは「声優が目立ちたいから」というのが理由なんです。特に今、若手声優は多すぎて現場に行っても中々覚えてもらえないんですよ。それで(一部の養成所ではありますが)「とにかく、画面で声を入れられると思ったところは全部入れておけ。なるべく沢山声を聞いて貰って覚えてもらった方が営業で得だろう」と言う指導者がいるんです。それと「なるべく息をつかった方が上手く『見える』」と…。作品全体を考えた演出じゃなくて、個々のエゴなんです。私もそう教わってきたので、最初はそういう「テクニック」で「営業」を真面目にやってました。でも、やりながら自分でも「音、ウザいな」と感じてたんです(苦笑)それが「間違い」だと気付かされたのは、舞台の演出家からそれを否定されたからですね。「見れば判るのに、それを過剰に演出する必要はない。これはアニメをやってた人の悪い癖だ」って。本音で思ってた事を外部の方から言われて「ああ、やはりそうか」と思いました(^_^;
それと今アニメのアテレコ現場では殆ど絵がついてないので、演じる方もそうやって「シーンの切り替え」を音で確認しないと流れが掴めず不安なのかもしれません。
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